鹿児島地方裁判所 昭和45年(わ)159号 判決 1972年3月30日
被告人 今村東一
大六・二・一五生 不動産取引業
主文
被告人を懲役八月に処する。
但し、この裁判の確定した日から二年間右刑の執行を猶予する。
押収にかかる仮処分立て札一札(昭和四五年押第七九号の2)を没収する。
訴訟費用は、被告人の負担とする。
公訴事実中、第一の「公示札」三枚を偽造、行使したとの点について、被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、東一興産の商号で不動産業を営むものであるが、同業の株式会社一二三商会の依頼を受け宅地造成用地として、鹿児島市田上町字小牧周辺土地の買収交渉に従事していたところ、たまたま同周辺土地を対抗関係にある宅地造成業者小野竜が既に買収し一時中止していた宅地造成工事に着手し、被告人の仲介で垂野金良が右一二三商会に売却した土地内に排水溝を通そうとしていることを知るや、右工事を阻止しようと企て、昭和四四年五月二九日鹿児島簡易裁判所において、垂野をして小野竜を相手どり土地立入禁止、占有妨害禁止の仮処分申請をなさしめて即日同年(ト)第二七号仮処分決定を得しめたうえ、この内容を立て札によつて公示すべく、同日ころ、鹿児島市西田町二一三番地の自宅において、行使の目的をもつてほしいままに縦四六センチメートル、横五八センチメートルの板二枚に、筆を用い、それぞれ冒頭に赤色のペンキで「仮処分」と題し、次行以下に黒色のペンキ(但し小野竜の部分は赤色)で「昭和四四年(ト)第二七号仮処分命令が発せられたので、小野竜は田上町二、六五三番畑七畝一四歩(七四〇・四九平米)の土地に立ち入つたり、又は右土地に対する申請人の占有を妨害してはならない。右の件を犯した者は処罰される。申請人垂野金良。昭和四四年五月二十九日鹿児島簡易裁判所」と記載し、もつて鹿児島簡易裁判所作成名義の記名ある「仮処分」と題する立て札一枚(昭和四五年押第七九号の2)ならびに形式、内容の同様な立て札一枚を順次作成偽造したうえ、同日午後一時ころ、右偽造にかかる立て札二枚を右同町二、六五五番地、同町三、八四四番地の二ヶ所に一枚宛いずれも真正に成立したものの如く装つて掲示して行使したものである。
(証拠の標目)(略)
(弁護人の主張に対する判断)
弁護人は、本件仮処分立て札の作成ならびにその掲示は、小野竜が係争地を不当に侵奪し、境界内へ侵入せんとする不法手段を予防し、排除するため、正当な目的をもつて行われたものであるから、行使の目的に違法性がない旨主張するので検討するに、前掲各証拠を綜合すれば、本件所為は、当時被告人が判示認定のごとく、小野竜が係争地に工事をしようとしたことに対抗し、これを阻止するために行つたものであること、ことに同人による係争地附近の造成工事の進捗にともない、土地の境界が不明になるおそれがあり、かつ緊迫した状況にあつたこと、感情的にも同人と対立していたことが看取されるが、当時すでに判示認定のように仮処分決定がなされ、かつ被告人側においても合法手段によつて小野竜らに対抗し得る余地が十分にある状態であつたと認められるのであり、立て札を偽造掲示してまでこれを阻止しなければならぬような状況にあつたとは、とうてい認められず、行使目的に違法性がない旨の所論は採り得ない。もつとも右立て札の作成、掲示は、弁護士事務所員の誤まつた指示に従つた疑いがあるし、又立て札の表現、文言等を勘案すると、巧妙な有印公文書偽造、行使とはいい難く、これらの点は量刑上斟酌される事情とはなり得るが、未だ犯罪の成否を左右するほどの事由とはならないので、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
法令にてらすと、被告人の判示所為中各偽造の点は刑法第一五五条第一項前段に、各行使の点は同法第一五八条第一項(第一五五条第一項前段)に各該当するところ、右の公文書偽造とその行使との間には手段、結果の関係があるので、同法第五四条第一項後段、第一〇条によりそれぞれ重いと認める偽造公文書行使罪の刑で処断すべきところ、以上は、同法第四五条前段の併合罪なので、同法第四七条本文、第一〇条により法定の加重をなし、犯情を考慮し、同法第六六条、第七一条、第六八条第三号により酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役八月に処し、なお情状により同法第二五条第一項を適用してこの裁判の確定した日から二年間右の刑の執行を猶予することとし、押収にかかる仮処分立て札一札(昭和四五年押第七九号の2)は、判示公文書偽造行使罪の組成物件であつて被告人以外の者の所有に属しないから、同法第一九条第一項第一号、第二項に則りこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。
(無罪部分の説明)
一、検察官の主張
本件公訴事実第一は、「被告人は、株式会社一二三商会のため、宅地造成用地として、鹿児島市田上町字小牧周辺土地の買収交渉に従事していた者であるが、たまたま同周辺土地を、対抗関係にある宅地造成業者小野竜が既に買収し、宅地造成工事に着手したことを知るや、右工事を阻止しようと企て、昭和四四年四月二五日ころ、鹿児島市西田町二一三番地の自宅において、行使の目的をもつて、ほしいままに縦二九・三センチメートル、横約五六・二センチメートルの板三枚に、白色ペンキを塗つたうえ、その上から筆を用い黒或いは赤色ペンキで、「債権者末広フミ、債務者小野竜間の仮処分命令申請事件については、昭和四四年四月二五日、鹿児島簡易裁判所から、立入禁止仮処分命令が発せられたので、債務者小野竜は、鹿児島市田上町二、六五六番地の畑(三七三・五五平方メートル)及び同所二、六五八番地の畑(二九・七五平方メートル)の両土地に立ち入つたり、その占有を妨害してはならない。」旨の記載をした「公示札」と題する立て札三枚を作成し、もつて鹿児島簡易裁判所作成名義の仮処分公示札三枚を偽造したうえ、同日頃、右偽造にかかる公示札三枚を、同所二、六五五番地、同所二、六五七番地、同所二、六四〇番地の三ヵ所に、真正に成立したもののように装つて掲示し、もつて行使したものである。」というのであつて、各事実は、刑法第一五五条第一項前段、第一五八条に該当する、というのである。なお、検察官は、右公訴事実の各公示札には、鹿児島簡易裁判所の印章も顕出されず、かつその署名の記載もないが、文書の全体の趣旨からみれば、その作成名義および偽造署名の記載があつたものと認められるから、右公示札は同条第一項前段の有印公文書に該当する旨主張(第二回、第九回の公判における釈明)するものである。
二、当裁判所の判断
(一) (証拠略)を綜合すると、以下の事実が認められる。
被告人は、昭和四四年三月末、前示一二三商会が末広フミよりその所有名義の二筆を買受けるにあたり、その仲介をなしたものであるところ、右土地の所有、利用関係をめぐつて紛争が生じ、対抗関係にある小野竜がこれに介入して右土地上に排水溝を通そうとしている気配を察知したので、これを阻止すべく、同年四月二五日、鹿児島簡易裁判所に右末広フミをして小野竜を被申請人とする仮処分申請をなさしめ、同日、右土地に対する立入りならびに占有妨害禁止の仮処分決定を得しめるや、右仮処分申請の代理人田平藤一弁護士の法律事務所員である伊地知一郎の指示に従い、同日ころ、前記自宅において、右仮処分の内容を自らの手で公示するため、縦二九・四センチメートル、横約五六センチメートルの板三枚に、白色ペンキを塗つたうえ、その上からそれぞれ筆を用い黒色ペンキで冒頭「公示札」と題し、次行以下に「債権者末広フミ、債務者小野竜、右当事者間の鹿児島簡易裁判所昭和四四年(ト)第二〇号立入禁止仮処分命令申請事件につき左記の通り仮処分決定が昭和四四年四月二五日発せられたので公示す。債務者(小野竜)は、鹿児島市田上町二、六五六番地畑三畝二三歩、三七三・五五m2、同所田上町二、六五八番地畑九歩二九・七五m2の土地(有刺鉄線ではりめぐられたる地域)に立ち入つたり右土地の債権者の占有を妨害してはならない。」旨記載し、末尾に赤色ペンキで「注意、この公示札をみだりに破棄した者は処罰されるので注意されたし。」と記載したが、作成名義人を全く表示しない立て札一枚(前同押号の1)並びに形式、内容の略同様な公示札と題する立て札二枚を作成したうえ、同日午後三時ころ、右公示札三枚を右同町二、六五五番地、同町二、六五七番地、同町二、六四〇番地附近の三ヶ所に一枚宛掲示したものである。
(二) そこでまず、右公示札三枚(以下単に一括して右公示札と略す。)がそれぞれ刑法第一五五条第一項前段のいわゆる有印公文書に該当する偽造文書であるかどうかについて検討するに、同条第一項前段の罪が成立するためには、当該公文書に少くとも公務所又は公務員の印章若しくは署名が存すること、すなわち公務所等の印影、署名が当該文書その他の物体上に顕出されていることが必要であるところ、右公示札には、前述したとおり、作成名義人の記載はなく、かつ公務所又は公務員の印影、署名が顕出されていないのである。ところで検察官は、右公示札に作成名義人の記載はなくても、文書の全体の趣旨からみるならば、その作成主体は公務所たる鹿児島簡易裁判所であると判別し得るから、その旨の記名が存するものと解して妨げなく、右公示札が同条第一項前段の有印公文書に該当する旨主張する。もとより、文書偽造罪の客体たる公文書が成立するためには、公文書の作成名義が存在することが必要であるところ、その作成名義は形式的に記名、押印をもつて文書の物体上に表示されていることを要せず、文面の内容自体又は文書の形式、体裁等から、具体的に特定され、判別されるものであれば足りるものと解されることは所論のとおりであるけれども、作成名義の有無は、いわゆる公文書性の要件なのであつて、有印公文書偽造罪の印章、署名の有無の要件ではない。同条第一項前段の罪は、公文書偽造の罪のうち、特に印章、署名のある文書は、それらのないものに比し公の信用度がより高度であるとの趣旨から、刑を加重しているものと解せられるのであるから、仮りに検察官所論のごとく、右公示札の作成名義人が鹿児島簡易裁判所であると判別し得たとしても、そのことから直ちに公務所の記名が顕出されたものと解し、印章、署名の顕出のない右公示札を同条第一項前段の有印公文書に問擬することは、同条項に対する不当な拡張解釈を前提とするものといわざるを得ず、所論はとうてい採用できない。
右説示のとおりで、右公示札は、同条第一項前段にいう印章、署名の顕出はなく、所定の有印公文書に該当すべき文書ではない、というべきである。
(三) さらに、右公示札は、公務所又は公務員の作成権限にかかるかのごとき偽造公文書であるとも認められない。(右公示札の作成名義人が判別し得るとした場合には、右公示札が同条第三項の無印公文書に該当するかの問題があるので、この点について検討する。)
前掲公示札(前同押号の1)の記載文言の趣旨、その形式、体裁ならびに前掲各証拠に徴すると、それが何らかの公的機関の作成にかかるものであることを窺知させるものといい得ないではないが、その公示事項は、鹿児島簡易裁判所の発した立入り禁止等仮処分にかかることを世人にうかがわしめる程度のものであつて、これらのことから右公示札が検察官主張のごとく、鹿児島簡易裁判所がその作成名義人であるものとはにわかに認め難く、むしろ仮処分執行における地方裁判所執行官が作成する仮処分公示札に類似する外観を呈するものとも認められないことはないが、もしそうだとすると、執行名義の表示を欠く公示札として、その方式自体に重大な欠陥が露呈されており、外観上その成立の真正が疑われる文書とも評される。その他諸般の事情をあわせ考えても、右公示札は、作成名義人が確定的に判別し得る外観を備えていない文書とみなされるところであつて、いかなる公務所又は公務員が作成名義人となるものであるか判然としないものというべく、同条第一項前段並びに同条第三項にいう偽造公文書に該当するものとは認められない。
(四) 以上のとおりで、被告人が右公示札を作成し、これを掲示行使したことが刑法第一五五条第一項前段、第一五八条に該当する所為とは認められないから、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡しをする。
よつて主文のとおり判決する。